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コラム「住まい考察」#12.「永遠」に対する考えかたについて [コラム(blog版)]

何かを永遠に残したいという願望は、最近の思想からは縁遠いものとなっているように思える。いや、元来日本人は永遠より移ろいやすいものに魅力や共感を得る民族と言えるかもしれない。祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり・・・、往く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・、そんな日本人でもやはり永遠に残したい!残すべきというものもある。
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コラム「住まい考察」#11.道具 [コラム(blog版)]

本当に久しぶりのコラムである。今回は広い意味での「多くの道具、少ない道具」について考えてみたい。
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コラム「住まい考察」#10.ラドンについて [コラム(blog版)]

~地下室のラドンは本当に心配?~

地下室のラドンの影響は?
今、地下室において天然放射性物質ラドンの影響が大きいとの心配の声も聞かれるが、実態はどうなのか調べてみた。
人体に与える影響として、血中の中性脂肪やコレステロールの代謝を促すなどのプラス面もあることは、ラドン温泉等の効能からも想像される。一方で発ガン性が多少なりともあるのではないかという疑問は、ラドンが欧米においても自然放射能負荷の原因にもなっているため否定はできない。
とはいっても発ガン性に対して神経質になってみれば、化学系床材(塩ビ系)や防虫処理、接着剤(フォルムアルデヒド等)、ポリ塩ビ系壁仕上げから検出される室内汚染の影響、ダイオキシンやフロンの発生等々と比較してみれば、自然界から受ける自然放射性物質というのは人体にとって微々たるものと考えられる。
空気滞留が他の階に比べ大きい地下居室に大切なことは、室内換気と壁の遮蔽性への配慮であることは間違いない。今回の創作住居に関して言えば、地下階の耐圧盤に35cmものコンクリート床をはっているため、放射線の遮蔽に有効に働くと考えられる。以下参考までに、言葉の意味として、資料を掲載した。
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コラム「住まい考察」#09.家相について [コラム(blog版)]

~科学や技術が全てではない~

今回は一転して家相についてお話してみたい。
Dr.コパなる人の活躍(?)で一気に若い人までもが家相に興味を持つ現象は、もはや定着したかのようだ。今までの、ややもすると現実離れした占的なものより、一応建築家と自称しているだけあって、多少現実味のある内容とインテリアや小物と言った誰でもが手を加えられる部分に、ラッキーカラーなど女性雑誌に必ずついている占的な要素を当てこんで焦点を当てたことが、脚光を浴びた大きな要因と思える。
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コラム「住まい考察」#08.常識とは?土地の価値基準が変わる(2) [コラム(blog版)]

~南道路や角地がそんなに有利?道路の持つ大切な意味~

前回、土地に対する常識について、査定方法や建築基準法が変われば、まったく逆になってしまう例もあることを述べさせていただいた。今回もその土地に対する価値観の矛盾ついてお話したいと思う。
たとえば、南道路は不動産広告で売り文句の一つになっている。角地も同様に売り文句であるし、固定資産税の算出などの査定でも割増である。
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コラム「住まい考察」#07.常識とは?土地の価値基準が変わる(1) [コラム(blog版)]

~間口が狭くて奥行のある土地は、無条件でマイナスの査定?~

繰り返しになるが、私は建築設計の立場であり、不動産に関しては専門外である。そんな私に以前、ある不動産鑑定の組織から「収益還元方式の為の想定建物について」話をして欲しいとの依頼があり、おこがましくも講義をしたことがある。不動産鑑定士の中でも特に先進的で優秀な方々を前にして、図々しくも不動産鑑定においての常識の矛盾について話したところ、意外な反響があった。
畑が違えば視点も違うのだろう。こちらが普通に考えていることが新鮮だったようだ。
その内容は昨年の暮れの不動産学会での発表にも引用され、その後、その論文集を見て興味を持ったと大阪の鑑定士の方からも資料の請求が来た。
今回は、その土地査定の矛盾ついてお話ししたい。
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コラム「住まい考察」#06.資産とは? 豊かさの価値基準が変わる [コラム(blog版)]

建築の設計をしている立場から見ると、土地の価格の高さを恨めしく思うことがよくある。土地購入に4000万円かかってしまい、建物には2500万円しか確保できない。よく言われる言葉である。別にローコスト住宅が悪い事ではない、設計者としてはそれはそれで楽しい。ただ、土地にはお金を出せるが建物には・・・、これが気に入らない! 理解できるがシャクだ!
不動産と言えば、土地、やはり土地は財産と考えてしまうのも分からないではないが、国の政策(税金を取ろう)にまんまと乗せられて、価格維持、引き上げに便乗して一部の人間だけが利潤をむさぼる構図はおかしい。価格に至ってははもっとおかしい。本来の使い道とか実際の価値でなく、資産、担保として土地を「利用」したあげくの爆発がバブル崩壊であった。何もここで再びバブルを語るつもりはない。それ以前から続いている社会のしくみ、構図に注目し、崩れつつある仕組みを検証してみたい。
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コラム「住まい考察」#05.家と「通り」の関係がおかしい [コラム(blog版)]

建築の設計の際、プランニングもさることながら、当初から街並みに対しての興味が私にはある。我々の呼ぶ「建築」には、敷地環境のコンテクストを読みこんだ、高い配慮に感心させられるものが多い。
しかし、こと一般的な建物や住宅となると、あまりの無神経さに腹立たしくなるものが圧倒的多数を占める。これでは街並みもあったものではない。

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コラム「住まい考察」#04.インターネットがもたらすもの [コラム(blog版)]

建築設計者にとって、インターネットとはかねてから気になる存在であったように思う。思いをこめて作り上げた作品をWeb サイトで発表できる等、顕示欲の強い人間にとっては魅力的な要素がそこにはある。
ただ、そこで思うのは、単なる自己満足でしかないのではないか、はたしてインターネットなるもの、どのくらい有効なのだろうか?設計事務所として宣伝まがいの事をするのは、ふさわしくないのではないか云々、猜疑心や自制心が脳裏をかすめ、躊躇していた人が大半かもしれない。
ぼく個人もおおむね似たような心境であった。少し前には、製図板からCADなどと言うコンピューターに道具が変わり、今度はインターネットの登場である。
以前のように、一生懸命建築の勉強をするだけでは、時代について行けない、つらい時代と憂慮していた。
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コラム「住まい考察」#03.地鎮祭 [コラム(blog版)]

地鎮祭とは本来活きている土地を鎮めること。
例えば畑、山林、雑種地などで人が日常の営みを はじめる前に土地の神々に祈りを捧げ、土地を使う許しを願うことであるということから、基本的には過去に家があった敷地や建て直しの場合には必要ないとの声もあるが、現在の地鎮祭は宗教的意義というよりは、施主、設計者、施工者が一同に会し工事着工を祝い、工事の安全を祈願して、これから着工する建物に対する関係者の気持ちをひとつにするけじめのセレモニーとも言えるだろう。
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