建築家コラム vol.07 /「村野藤吾、京都・都ホテル佳水園」 [建築家コラム]
村野藤吾(むらのとうご:1891~1984)スタッフ・ハマグチです。
2005年もまだ前半ですが、今年になって相次いで建築界の大家と呼ばれる方々が亡くなられました。フィリップジョンソン、丹下健三、清家清(敬称略)。それぞれ、享年98歳、91歳、86歳と建築家としての天寿を全うされています。
今から20年ほど前に他界された村野藤吾も、享年93歳と長生きをされた建築家の一人。しかも90歳を過ぎて尚、精力的に活動されていた点で、「おじいちゃん建築家」のイメージで記憶されている方も多い人物です。

京都・都ホテル佳水園(かすいえん) 村野藤吾という建築家はご存知でしょうか?
作品数や作品規模からすれば大家であることは間違いありませんが、ちょっとマイナー(マニアック?)なセレクトかもしれません。有名どころの作品を挙げると、「旧読売会館(現ビックカメラ有楽町店)」や「旧千代田生命本社(現目黒区役所)」、また先頃、残念ながら取壊されてしまった「そごう百貨店大阪本店」、それから新高輪、箱根などが代表的なプリンスホテルの建築(こちらも今後の行く末が非常に心配です。)などがあります。どれかしらは、一度は目にしたこと、訪れたことがある方も多いのではないでしょうか?
また作風について、非常に述べづらい建築家でもあります。和もあって洋もある。有機的デザインもあり、はたまた直線的な構造美のデザインもある。。感覚的にも、ボリューム感があって、ドッシリとした作品もありながら、非常に繊細なディテールを駆使したような作品もあります。それらを、とにかくまとめて「村野調」と人は言います。
そんな七変化的建築家の作品中で、一番にオススメしたいのが「京都・都ホテル佳水園(かすいえん)」。
最近改装された、都ホテル本館ロビーでまずチェックインを済まし、エレベーターで7階へ。それから長い中廊下を歩くと、また外に出ます。7階なのに地面があるのが、とても不思議な感覚ですが、それはホテル自体が急斜面に寄り添うように建てられているため。そうこうすると目の前に数奇屋風の建築が現れます。「数奇屋」とは簡単に言うと「茶室」の様式美を拡張していったもの。難しく言うと、、、きっと延々と語れてしまうような代物です。
「数奇屋建築」とは言っても、そんなジャンルの括りからはみ出してしまう、「村野調」のテイストがそこかしこに溢れています。エントランスから宿泊室までの中庭をぐるりと周回する廊下は目線を完全には通さない、アイポイントを分散させるなどの手法により、日本的「オク」の空間をつくりながら、廊下幅やホールの広さなどはホテルとして使用できるようにリサイズされています。といって中庭の向こう側に見える風景が大ぶりであってはまずいので、軒の高さは低く、屋根勾配は緩やかに、そして屋根をいくつにも分割し重ね合わせることで、大きな建築をまるで小さな建築の集合群のように見せているのが、巧妙なテクニックと言えます。オリジナルデザインの照明なども「村野調」テイストのひとつですが、こういった細かな配慮の集合によって、空間全体におおらかなダイナミズムをつくり出すのも、村野藤吾の特徴と言えるかもしれません。
この佳水園、村野作品の中では、かなり「和」寄りな仕立てですが、本館と合わせて御覧いただければ、彼の作風の幅は存分に感じられるはず。和も洋も越えて、さらにそのミクスチャーさえも越えた領域にいる彼の才能を見てとることができます。
昨今の建築はカタチからテクスチャーまで、あらゆるデザインの場面を自由に取り扱えるようになってきました。しかし、やもするとその表現体はただのファッションでしか在り得ない状態に陥っていることも多々あります。
村野藤吾は自らを「厳格なるプレゼンチスト」と呼びました。まさしく、その「今」という瞬間にしかできない建築をつくり続けてきた建築家です。けれども、それから何十年経って、なお、そのデザインは新鮮です。設備的な機能がどうとか、汚れがどうとかでは、もちろんありませんし、また「かっこいい~!」というのとも、ちょっと違います。空間がもつ独特の雰囲気が心を落ち着かせ、かつ、ワクワクさせる感覚があります。これが建築がもつべき本来の「力」なのかなと今は考えています。
※佳水園全景画像はコチラを御覧ください。
また、この村野作品は「DOCOMOMO日本100選」にも選ばれています。
ドコモモの詳細についてはこちら↓
docomomojapan : http://www.docomomojapan.com
「建築家コラム・目次」へ