宮脇壇とオスカーピーターソン [建築家コラム]

時代の流れに左右されず自分の道をこつこつと歩いた人です。
この二人はとても器用で達者、テクニシャンであるにもかかわらず、あえて、、、
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■代表作「We get request」この姿勢が正にピーターソン。次はこれだ、聞いてくれ!とは正反対。 自分のワンスタイルを貫いたのです。
興味深いのはこれだけ器用であれば、その時代のニーズに合わせ、自由に演奏やデザインを操ることくらい簡単であったであろうと思うのに、あえて自分スタイルを貫いた。意図的なのか、信念なのかそれは本人のみ知ることなのでしょう。
1940年代の終わりにデビューしたO.ピーターソンはその後ジャズ界が、ビパップからクール、モード、フリーと進化し、クロスオーバー、フュージョンと様変わりを続ける中、黙々と自分スタイルのモダン系のジャズピアノを弾き続けました。
途中、難しいジャズが主流と言われた時代には不遇な評価を受けたりもしましたが、時代は巡り、今は新星ピアニスト上原ひとみからも師と仰がれるなど巨匠扱いにまで評価は一気に上がりました。
短期的なその時代時代の評価は決して高くはなかったのですが、多くの人にとって一番ジャズピアノっぽさを感じる演奏を奏でる彼はジャズピアノと言った大きな括りになるとイメージ的にナンバーワンかもしれません。

一方、宮脇壇は1960年代のデビューからボックス型の住宅をこつこつと、つくり続けました。
建築界も時代と共に価値観は変化を続け、大文字の建築(大規模な公共建築など)こそが建築家の仕事で、住宅ばかり作っていると住宅作家と呼ばれていた時代もあります。(今も残っているかもしれませんが、評価が若干違います)
建築は住宅に始まり住宅で終わると言われるように建築の基本であるのですが、建築家は売れてくると住宅をあまりやらなくなります。
宮脇は人気作家となっても住宅にこだわり、しかも色気を出さず自分のスタイルであるボックスにこだわり続けました。
これは、設計をやる人間には判ると思いますが、かなり禁欲的です。抑えると言うことは硬い意思と信念の裏づけがなければ出来ません。
そして彼は一連の住宅作品で建築学会賞を受賞しました。
惜しくも98年に癌で亡くなってしまいましたが、彼のダンディズムと住宅哲学のファンは今でも多くいます。
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