池原義郎とキースジャレット [建築家コラム]
共に「他に追随を許さない独自な美しい作品」を創る人。「洗練された繊細な美」「知性的な美」「魂のある作品」とでも言えばよいのだろうか?、、、

■ソロピアノの原点、実に美しいアルバム「ケルンコンサート」はジャズファンにとどまらない多くのファンを持つ。 単にきれいと言っては失礼に当たる、精神性の高さと作者の人間性が作品にそのまま現れている。
手法とか方法論では語ることが出来ないがゆえ、コルビジェのような時代の流れを作るリーダーとはならない。もちろん本人も望んでいないであろう。
よって、「池原もどき」や「キースもどき」はありえない。日本には安藤忠雄が10人いる、いやもっといると言われるように、安藤風の建築はたくさんあるが、池原風というのはない。真似を出来ない、する気を起こさせないと言うところだろう。
池原はよく人の作品を見て、決して形の真似をするな。表面を模倣するな、精神を読み取って自分のものにすることが勉強なのだ。と語っていた。池原はガウディやシュタイナーの研究者としても有名であるが、実際に設計する建築作品はそれらとは似ても似つかないと映る作品を作っている。
キーズジャレットは特別なピアノを使っているんじゃないかと思わせるほどきれいな音色を出す。もちろん音色だけでなくフレーズの一つ一つにいたるディテールが研ぎ澄まされていて、それとわかるところも池原と共通する。もちろん全体を通してもその構成や展開が見事に計算され、どこを取っても全体で見ても池原でありキースであるのがまたすごい。住宅であっても大きなホテルであっても、池原であるのと同じくキースもソロピアノであろうと、トリオで奏でるスタンダード集であろうとどれもキースの世界であり、題材がスタンダード曲と言うだけでキースの音楽なのだ。アートブレーキーのバンドにも在籍していたことがあるが、見るからにエネルギッシュなブレーキーと内に秘めたるエネルギーのキースがまったく結びつかないのも面白い。
池原もキースもどこかのジャンルに分類することは難しい。池原義郎そのものであり、キースジャレットなのだ。
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