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丹下健三死去。お悔やみ申し上げます。 [建築家のオフタイム]

丹下先生が都庁のコンペに取り組んでいる頃、ちょっとしたご縁で先生に多く接する機会がありました。
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■日本の建築家の存在感を世界に見せた巨匠
いくつかあるご自宅のうちの一つ、その設計を丹下事務所の人と組んでお手伝いさせていただきました。
いつも穏やかに丁寧な言葉で、細かいところまで目を配り、適切なチェックが入ったのを覚えています。
デザインに関することより印象に残っているのは、「一段の段差は危ないから目立つようにしましょう。」「ここの排水は掃除しにくそうだから、大きく開けられるようにしましょう」、、、指摘を受けることが恥ずかしくなるような「建築計画」の基本中の基本に関する事が多かったです。また、奥様の意見に耳を傾けながらも、ご自身の意見をきちんと奥様に伝え説得する姿勢など、いろいろ勉強させていただきました。
丹下事務所の人の話では、先生がお話になっている間はトイレ禁止(いつも半日以上ぶっとうしなので大変だったそうです)、真夜中でも明け方でもがんがん変更指示の電話が入るので、スタッフは交代で事務所泊まりだったそうです。先生の建築に対する情熱を垣間見た気がしました。
先日はフィリップジョンソンの訃報も飛び込んできました。
モダニズムを築き上げた巨匠が相次ぎ亡くなったことは、時代の変わり目を見ているようです。
ご冥福をお祈りいたします。

コメント

丹下さんは91歳だったとか。建築家って老いても現役、生涯建築家なのですね。
  1. 2005/03/23(水) 19:30:21 |
  2. URL |
  3. staff.hs #N.vW.TCs
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丹下健三氏の訃報聞き大きな時代の転換期を感じずにはいられません。日本のモダニズムを支え、現代建築に多大な影響と功績を残し、多くの後継者(大谷幸夫、槇文彦、神谷宏治、磯崎新、黒川紀章、谷口吉生、原広司等)を残したあまりに偉大な建築家の死に「巨星ついに・・・。」の感があります。私が建築に興味を持った80年代から多くの巨匠が世を去りました。世界の巨匠と交わった世代として土浦亀城(ライト)、前川國男(コルビジェ)、山口文象(グロピウス)、独特の作風を持つ村野藤吾、白井晟一、吉阪隆正、板倉準三など。そして日本の建築界は戦後最高の巨匠を今失いました。桂離宮の美しさとモダニズムの融合を果たした丹下氏は世界の巨匠と交わることなく、世界のモダニズムを国内に残した建築家でもありその美しさはまさにコンクリートを使った日本の美であったと思います。自邸はもちろん清水市庁舎、広島平和公園、倉吉市庁舎、旧東京都庁舎、香川県庁舎、倉敷市庁舎、電通大阪、大阪万博、代々木体育館、東京カテドラル聖マリア大聖堂などモダニスト丹下ここに有りという作品が多くあります。都内にも作品は多くそれらはいい教材でありそれらに触れられることはとても幸運です。近年は現東京都庁舎やフジテレビ、国連大学などポストモダニズムの使い手と思われる作品もありましたが、彼をポストモダンの建築家と呼ぶ人はいないでしょう。ここに建築界の戦後が終わったのかもしれませんね。そんな気がしてなりません。
  1. 2005/03/28(月) 03:21:01 |
  2. URL |
  3. 市川宏建築設計室 #sZuoGHFE
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僕らの世代が建築の勉強を始め、社会に出たその当時80年代の前後の時期は丹下健三にとって一番、不遇な時期だったのかもしれません。
もちろん、当時も巨匠でありリーダー的な存在ではありましたが、建築デザイン界の影響力はかなり薄くなっていたように思います。
時代の流れと言ってしまえば、それまでなのでしょうけれど、振り返ってみると建築界全体が右を見たり左を見たり、、、
みんなが右を見はじめた時代にそれまでどおり左を見ている人は批判された。やや、そんな空気を感じます。
特にトップにいると、批判の矢面に立たなければならいのも、ある種の宿命なのかもしれません。
その後90年代からは何をやっても良し。どこを見ようと個人の価値観。それを方向性を失った混沌とした模索の時代と表現する人もいました。
21世紀になった今から見れば、当時の批判や主張が「ちょっと、こっけい」に映ってしまうのは、僕だけではないはずです。
時代時代の価値観はあるにせよ、みんなで同じ方向を向いてしまうことは恐怖感に似たものを感じてしまいます。
  1. 2005/03/28(月) 18:36:35 |
  2. URL |
  3. 伊藤 #GVtlOqMc
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URL:

丹下健三

丹下健三丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年9月4日 - 2005年3月22日)は日本の建築家。「世界の丹下」と言われ、日本人建築家として、最も早く海外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクト
  1. 2007/02/23(金) 07:02:57 |
  2. sakuraの日記