磯崎新とクインシー・ジョーンズ [建築家コラム]
自らの作品も多いが作家にとどまることなく、他の同業プロたちのプロデュースも手がけけるマルチタレント。磯崎新をプロデューサーと呼ぶなとの声も聞こえてきそうだ。もちろん、多くの建築作品を世に送り出し、コンペでもたくさん勝ち抜いて来た世界的な建築家である。しかし、、、

磯崎を単に「建築作家」と呼ぶにはあまりにもその活躍の範囲が広い。
熊本アートポリスなどで多くの建築家をまとめる総合プロデュース。数々のコンペ審査員として無名だった新人をピックアップし世界の舞台へ引っ張り出すその洞察眼と手腕など、プロの上に立つ、もしくはまとめる立場での実績も群を抜いている。
多くの著書、作品を通じて思考と空間の展開をはかり、建築関係者、学生の「知」の道しるべとなった。時代ごとにテーマをつくり、60年代のシステム(機構)、70年代のメタファ(隠喩)、80年代のナラティブ(物語)、90年代のフォーム(形式)など、さまざまな考え方や手法を通じて時代に問いかけてきた。その活動や影響力は、建築のみならず、思想、美術、デザイン、展覧会の構成など、さまざまな分野にわたる。
クインシージョーンズについてはさらに顕著だ。逆に彼がジャズミュージシャンだったことを、知らない人もいるのではないかと言うほど活躍の範囲は広い。
ライオネル.ハンプトン楽団のトランペッターとして音楽界入りしたのち、D.ガレスピー楽団などジャズの王道を進み、1956年「私の考えるジャズ」と言う初リーダーアルバムを発表。そのころより作編曲者として頭角をあらわし、自身のジャズオーケストラでの作品に加え、多くのプロデュースをこなしていく。70年代にはフュージョン、ソウル、ブラックと活動の範囲を広げ、その間、自らも「愛のコリーダ」などの大ヒットを生む。
「We are the world」において、アメリカを代表するようなミュージシャンをまとめ、プロデュースする姿に象徴されるように、多くのミュージシャンと仕事をこなし、マイケルジャクソンなど数え切れない世界的ヒットを生み出すプロデューサーとして、アメリカ音楽界最大の巨匠として君臨する存在となった。
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